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九州旅行:写真と解説
第2日・1026日;長崎観光-3


長崎名物・中島川に架かる「眼鏡橋」と界隈



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日 程 主要(観光)コース  平成年20(2008)10月25日〜11月1日  (8日間) 宿泊地
第1日  厚木自宅⇒羽田発7:30⇒⇒⇒福岡空港着9:15⇒空港(マツダレンタカー)⇒香椎宮⇒海ノ中道⇒宗像大社⇒門司・レトロ街⇒福岡市内(中洲、天神で夕食)⇒宿泊(平和台ホテル)
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福岡


第2日

 ホテル⇒大宰府と天満宮⇒武雄温泉(元湯・入浴⇒大村湾P・A⇒長崎平和記念公園・浦上天主堂⇒グラバー亭、大浦天主堂⇒宿(長崎ワシントンホテル)⇔繁華街、めがね橋、中華街・・・夕食)
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長崎
第3日

ホテル⇒諫早干拓堤⇒小浜温泉⇒雲仙地獄・温泉(仁田峠スカイライン)⇒深江道の駅、災害記念館⇒島原F・T⇔島原城、武家屋敷跡⇒⇒⇒熊本F・T⇒熊本城⇒宿(六花の湯・ドーミーイン熊本)⇔熊本繁華街(夕食)
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熊本
第4日

ドーミーイン熊本⇒水前寺公園⇒南阿蘇鉄道(みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげんえき:日本一長い駅名)⇒阿蘇中岳火口⇒阿蘇・草千里⇒大観峰(阿蘇外輪景勝地)⇒飯田高原・長者原⇒九酔峡(九重大吊橋)⇒筋湯⇒黒川温泉:御客屋旅館(宿泊)⇔散策・ふもと旅館(立寄り湯)
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黒川温泉
第5日 黒川温泉・宿⇒九重I・C⇒大分空港⇒国東(仏の里)⇒両子寺⇒天念寺、川中不動⇒長安寺⇒富貴寺⇒伝乗寺(真木大堂)⇒熊野磨崖仏⇒宇佐神宮(八幡宮総本社)⇒鉄輪温泉:陽光荘(宿泊) 別府・
鉄輪温泉
第6日 鉄輪温泉・地獄めぐり:海地獄⇒かまど地獄⇒地の池地獄⇒宿
宿⇒別府市内、竹瓦温泉(立寄り入浴)⇒陽光荘
別府・
鉄輪温泉
第7日 陽光荘⇒湯布院(由布院散策、金隣湖、下ん湯 ( したんゆ )立寄り湯、「天上桟敷」(休憩:モン・ユフ、林檎のコンポート)⇒湯平温泉(散策:共同湯・中央湯入浴)⇒湯布院⇒宿・陽光荘⇔ひょうたん温泉(立寄り湯、食事) 別府・
鉄輪温泉
第8日 宿(光陽荘)⇒大分道・玖珠⇒深耶馬溪(一目八景⇒耶馬溪ダム⇒溪石園)⇒本耶馬渓(羅漢寺⇒青の洞門・競秀峰⇒オランダ橋)⇒R496(魔林峡、猿飛千壺峡)⇒英彦山・高住神社⇒花公園ケーブルカー⇒⇒奉幣殿⇒参道⇒旧亀石坊(雪舟庭園)⇒小石原(道の駅)⇒秋月⇒大分道・甘木⇒福岡空港(レンタカー返却、土産、夕食)、20時45分発⇒⇒⇒羽田22時15分着(息子送迎)⇒自宅帰着
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長崎観光(3)


長崎市主要地


長崎市観光通り
右上に、2008年(平成20年)のノーベル化学賞受賞者の
下村 脩氏の看板が偶然キャッチされていた。



市内目抜通りを走る長崎市電(賑橋付近・・?)


現在の思案橋通り



思案橋記念跡


往時の丸山界隈(案内版より)



現在の丸山界隈



長崎の出島に隣接して長崎チャンポンの中華街が在り、
更に丸山、思案橋のタウンがある。 

 「長崎に丸山といふ処なくば 上方の金銀無事に帰宅すべし
(長崎に丸山という場所さえ無ければおエライさん方も 
金を使わないで無事家に帰れただろうに・・)と、かつて井原西鶴が言ったというくらい当時
、大変な賑わいぶりだったらしい。 

幕末の志士(坂本竜馬、高杉晋作…)や
長崎にやってきた外国人(シーボルト…)など
歴史上の多くの有名人がここで遊んだという。その跡地を見て回ろうというのが、
「長崎丸山ぶらぶら散策」である。  

当時、丸山の入り口には橋が掛かっており、
色欲に駆られた男どもは、

行こうか?、行くまいか?・・」

と橋の手前でさんざん迷ったため、付いた名前が「思案橋」という。 

この丸山界隈を描いた作家(作詞家)・
なかにし礼が「長崎ぶらぶら節」を著し、直木賞を受賞している。 

2000年(平成12年)、オランダとの交流400周年という
記念すべき年を迎える長崎でのロケを経て、
東映で映画化もされた。 

長崎ぶらぶら節」とは、
江戸・嘉永年間に流行したといわれる長崎の歌の名前のことで、
(長崎民謡)大正というデモクラシーの時代において、
この失われつつある長崎の歌を発掘し、
後の世に語り伝えようとした一人の学者と一人の芸者が登場している。


眼鏡橋の下流:袋橋



中島川石橋群案内図(陶磁器版)


眼鏡橋の上流:東新橋


眼鏡橋


長崎の主な町人の街は今の賑町、栄町、魚町、桜町
といった辺りであろうが、寺町の各寺院へ参詣に行くには
真ん中に中島川が流れ、通行を遮断していた。
 
その為、江戸初期には克って架かっていた木橋、
木廊橋(屋根付きの橋)が次々と石橋に架け替えられたという。 

この長崎の石橋は中国人が多く関わっていて、
先ず「高一覧」(日本・中国語の通詞、通訳)が独力で
1650年に大手橋を架けて以来、
中国人同士の競争意識が働き石橋群が生まれたという。


これらの唐風石橋群は長崎町人たちの生活の道であり、
寺町の仏寺院に参詣に行く参道としての重要な役割を果たしてきた。 

中島川の上流から下流まで
石橋群は18橋ほどあるが5キロほどの短い川に架けられた数としては
他に例を見ないという。

過剰気味のこれらの橋は僧侶、通詞(外交官、通訳)、
商人などの個人の財力で造られたといい、
長崎が鎖国時代唯一の外国貿易港であり、
天領であった豊さを物語っている。

長崎市電(長崎電軌線)の賑橋駅(にぎわいはし)から直に、
その「眼鏡橋」が架かっている。

 中島川に架かる第10橋で、
眼鏡橋の名称は川面に映った影が双円を描き、
眼鏡のように見えることから、その名の由来といわれている。 

眼鏡橋の傍には磁器焼き物で設えた
石橋群案内図」があり、これを見ると各石橋は
寺町の其々の寺院に直結しているのが判る。

この眼鏡橋は、昔より「錦帯橋(山口県岩国)」、
「日本橋(東京)」とともに日本三名橋の一つとして名高い。



晧台寺
坂本龍馬が暗殺された後、ここで追悼式が開かれた


崇福寺(支那寺)山門


坂本龍馬の「亀山社中」へ到る、手作りの道中標識(合成)





土佐藩を脱藩した坂本龍馬は
、神戸で海防を学んだ海軍塾生同志らと慶応元年(1865)
海運や貿易さらに政治活動のため長崎入り、
地名から「亀山社中」と称した。

亀山社中は長崎の港や長崎奉行所・長崎街道が
眺望できる情報収集の適地でもあった。 

「社中」とは会社のことで、
亀山社中は軍事的、政治的かつ商業的な組織であった。 

亀山社中へ到る坂道を「龍馬通り」といい、
寺町の深崇寺と禅林寺の間から亀山社中跡を経て風頭公園へ至る小路で、
長崎らしい坂道・階段が続くこの歴史探訪路には
手作りの案内板が各処に設置されている。



中華門


長崎中華街


横浜、神戸と並ぶ中華街・新地は、
江戸時代中期に中国からの貿易品の倉庫を建てるために、
海を埋め立ててできた街(長崎新地)。

東西、南北あわせて約250mの十字路は、
長崎市の姉妹都市である福建省の協力でできた石畳。

現在、中華料理店や中国菓子、中国雑貨など約40店舗が軒を並べている。




中華街に隣接する「長崎ワシントンホテル
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長崎市内を巡回する「長崎電気軌道」の新型車両
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「長崎ワシントンホテル」 

電話番号:  095-828-1211 
所在地: 〒850-0842 長崎県長崎市新地町9−1 
チェックイン日時: 2008年10月26日17:00 
宿泊日数: 1泊 駐車料金1000円 
部屋タイプ: ツインルーム 
本館料金: 4,500円(大人)× 2名   
小計: 9,000円(食事なし)



        


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