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九州旅行:写真と解説
第5日・1029日;国東半島観光(2)


宇佐神宮;本殿前の南中楼門(勅使門、拝殿);奥から
一の御殿(応神天皇)、二の御殿(主神比売大神)、三の御殿(神功皇后)




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平成年20(2008)10月25日〜11月1日  (8日間)
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日 程 主要(観光)コース 宿泊地
第1日  厚木自宅⇒羽田発7:30⇒⇒⇒福岡空港着9:15⇒空港(マツダレンタカー)⇒香椎宮⇒海ノ中道⇒宗像大社⇒門司・レトロ街⇒福岡市内(中洲、天神で夕食)⇒宿泊(平和台ホテル)
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福岡

第2日

 ホテル⇒大宰府と天満宮⇒武雄温泉(元湯・入浴⇒大村湾P・A⇒長崎平和記念公園・浦上天主堂⇒グラバー亭、大浦天主堂⇒宿(長崎ワシントンホテル)⇔繁華街、めがね橋、中華街・・・夕食)

長崎
第3日

ホテル⇒諫早干拓堤⇒小浜温泉⇒雲仙地獄・温泉(仁田峠スカイライン)⇒深江道の駅、災害記念館⇒島原F・T⇔島原城、武家屋敷跡⇒⇒⇒熊本F・T⇒熊本城⇒宿(六花の湯・ドーミーイン熊本)⇔熊本繁華街(夕食)
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熊本
第4日

ドーミーイン熊本⇒水前寺公園⇒南阿蘇鉄道(みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげんえき:日本一長い駅名)⇒阿蘇中岳火口⇒阿蘇・草千里⇒大観峰(阿蘇外輪景勝地)⇒飯田高原・長者原⇒九酔峡(九重大吊橋)⇒筋湯⇒黒川温泉:御客屋旅館(宿泊)⇔散策・ふもと旅館(立寄り湯)
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黒川温泉
第5日 黒川温泉・宿⇒九重I・C⇒大分空港⇒国東(仏の里)⇒両子寺⇒天念寺、川中不動⇒長安寺⇒富貴寺⇒伝乗寺(真木大堂)⇒熊野磨崖仏⇒宇佐神宮(八幡宮総本社)⇒鉄輪温泉:陽光荘(宿泊)
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別府・
鉄輪温泉
第6日 鉄輪温泉・地獄めぐり:海地獄⇒かまど地獄⇒地の池地獄⇒宿⇒別府市内、竹瓦温泉(立寄り入浴)⇒陽光荘 別府・
鉄輪温泉
第7日 陽光荘⇒湯布院(由布院散策、金隣湖、下ん湯 ( したんゆ )立寄り湯、「天上桟敷」(休憩:モン・ユフ、林檎のコンポート)⇒湯平温泉(散策:共同湯・中央湯入浴)⇒湯布院⇒宿・陽光荘⇔ひょうたん温泉(立寄り湯、食事)
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別府・
鉄輪温泉
第8日 宿(光陽荘)⇒大分道・玖珠⇒深耶馬溪(一目八景⇒耶馬溪ダム⇒溪石園)⇒本耶馬渓(羅漢寺⇒青の洞門・競秀峰⇒オランダ橋)⇒R496(魔林峡、猿飛千壺峡)⇒英彦山・高住神社⇒花公園ケーブルカー⇒⇒奉幣殿⇒参道⇒旧亀石坊(雪舟庭園)⇒小石原(道の駅)⇒秋月⇒大分道・甘木⇒福岡空港(レンタカー返却、土産、夕食)、20時45分発⇒⇒⇒羽田22時15分着(息子送迎)⇒自宅帰着
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国東半島観光(2)


長安寺本堂



長安寺、奥の社(権現社)への雰囲気ある参道



国東六郷三山組織(本山・中山・末山=満山)の中山本寺は、
半島西側を中心とし山中深く屋山
(八面山、534m)の中腹あたりに長安寺はある。 

境内は登山道にもなっており、
きつい傾斜の石段を登りついたところに六所権現神社や国東塔がある。 

周辺はシャクナゲが群生している。 

長安寺は春のシャクナゲ、秋の紅葉でも有名である。 

長安寺は同様に奈良期の初期に仁聞菩薩によって開かれた、
鎌倉時代には六郷山の惣山(代表格の山号)として百余寺、
千人の僧侶を統率し、山岳道場の学頭職としてさかえたという。 

「六郷満山第八番札所」であり、本尊は「千手観世音菩薩」




富貴寺山門



富貴寺大堂:阿弥陀堂(国宝)


富貴寺(ふきじ)は、豊後高田市蕗(ふき)にある天台宗の寺院。 

本尊は阿弥陀如来、開基は仁聞(にんもん)と伝える。 

国宝の富貴寺大堂(おおどう)は、
近畿地方以外に所在する数少ない平安建築のひとつとして貴重な存在である。 

現存する大堂は12世紀の建築と思われ、
天台宗寺院にしては、浄土教色の強い建物である。 

九州最古の木造建築で、宇治平等院の鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並び、
日本三大阿弥陀堂の一つとされる。


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伝乗寺・真木大堂



伝乗寺大堂横の展望地入口


伝乗寺は、養老年間(717年-723年)に仁聞(にんもん)菩薩によって
開創された六郷満山本山の寺院の一つで、
その中でも七堂伽藍を有する最大規模の中心的寺院であり、
田染地区に36の寺坊を有していたという。 

「真木大堂」に収められている国の重要文化財に指定された仏像は、
各寺坊の衰退に伴って一箇所に集められたもの。 

裏に回ると階段が目の前に見える。 

この階段は約300段あり、頂上までの道のりはかなり険しく、
片道30分以上はかかるという。 

登って行くと所々に休憩所が設けられていて、
山頂から見渡す景色は、両子山をはじめ絶景が楽しめる。 

頂上には、石像が両端に立っている。

国東六郷満山霊場第四番。


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熊野磨崖仏


熊野磨崖仏は平安時代の末に造られたと推定されている。

国指定重要文化財。 

胎蔵寺の下から、鬼が築いたという九十九段の石段を登る。 

岩壁に刻まれた熊野磨崖仏は、
日本一雄大荘厳といわれているもので、
向かって右手が大日如来像(6.8m)、左手の不動明王像が約8mある。 

序ながら、鬼の築いた九十九段の石段は、
なまはげの里・男鹿半島の真山にもある。 

国東半島と、男鹿半島で同じ鬼の築いた九十九段
(男鹿真山は999段)の石段は何か関連があるのだろうか・・??。

日本周遊紀行(22)男鹿 「なまはげ」






本殿前の南中楼門(勅使門、拝殿)


大鳥居




手水舎


西大門(県指定有形文化財)
桃山時代の形式を残す華麗な神門




能楽堂 宇佐神能が毎年10月21日に奉納


下宮 祭神は上宮と同じ、片方のみを参拝は片参りとなる




護皇神社 大尾山の山腹に和気清麻
呂公を祀る



宇佐神宮境内東の最奥部に大尾山があり山腹に「護皇神社」がある。 
和気清麿公を祭神として鎮座されている社である。 
世に「宇佐八幡神託事件」、「道鏡事件」と言うのがあった。
 
奈良後期の称徳天皇の御世、
弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が「宇佐八幡の御神託である」
と嘘をついて帝位に即こうとするが、
一方、和気清麿はこれを抑えるべく宇佐八幡に赴き、正規の御神託を仰ぎ、
道鏡の意思を退けて「万世一系の天皇制、国体擁護」を説いたものである。


呉橋

   


西参道の寄藻川に「呉橋」が架かる。
西参道を勅使街道と称し、天皇及び勅使参詣のみに使用されたらしい。 

呉橋はその宮人・勅使、天皇達の
やんごとなき(貴人)方々の専用通路であるが、
一時期は一般の人もこの橋を渡って参詣したこともあるという。 

当時、小倉、中津を領した細川家によって造営され、
現在の橋は昭和初年の国費により造営されたという。 

呉橋という名の由来もはっきりしないが、
昔、呉の国(中国)の人が掛けたとも云われ、
その名から古い時代に渡来人によって架けられたとする伝承もある。 

尤も、宇佐神宮そのものが大陸の影響を受けていたところをみると、
この呉橋の造りそのものが如何にも大陸・中国風、唐風なのである。
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古代より有名な宇佐神宮で、創建は6世紀頃とされている。 
この時期、古代においては海上交通の要所であったところで、
渡来人により早くから大陸の文化がもたらされた。 

宇佐地域はいわば、古代の先進地域の一つで多くの遺跡が残されている。 

その宇佐を代表する存在が「宇佐神宮」である。

宇佐神宮は、古代史における「卑弥呼」の時代から関連があるとされている。 

その後においても天皇即位の信託を授けた歴史もあり皇室の祟敬も深い。 

全国4万社余りある八幡宮の総本社で伊勢神宮に次ぐ宗廟である。 

主神殿には比売大神、応神天皇、神功皇后の三神を祀っている。 

広い境内には、嘗ては大寺もあり五重の塔などもあったが
明治維新の廃仏毀釈で失われたという。

元より、宇佐神宮は仏教との結びつきが強く、
奈良期には都の東大寺建立における「神託」(託宣)を出しのも宇佐の神であった。 

この時期には境内に神宮寺である「弥勒寺」も建立されていて、
そこに僧法を置いて別当としている。 

仏教と結びついた八幡神は、
平安初期には最澄(伝教大師)が渡海の安全を祈って宇佐に参詞、
天台宗と結びついて山岳仏教が国東半島で花開いた。 

それが国東における「六郷満山」へと発展してゆく。

宇佐神宮の特異な点は、多くの神のお告げ、
つまり「神託」(託宣)を出し、九州にありながら中央政界と密接な関係を持っていた。 

特に国家的事業である「東大寺の大仏建立」にあたっては、
「天の神、地の神を引き連れて、必ずや成功させる」、
「大仏に塗る金(きん)は日本国内から出るであろう」との神託を出し、
金が東北から見つかったといつて朝廷に献上している。 

東大寺が完成なった後は、宇佐八幡神は奈良の都に上り、
大仏を拝しながら鎮護している。

そのため朝廷から破格の位と褒賞を授かった。 
その結果、八幡神は国家および仏教の守護神と位置づけられ、
東大寺境内に手向山(たむけやま)八幡宮が創建されている。 

この時期より神と仏が融合する「神仏習合」が一般化し、
凡そ1000年に亘って所謂、神仏混淆、本地垂迹が続くことになる。
一般的な神社参拝の作法は「二礼二拍手一拝」であるが、
宇佐神宮は「二礼四拍手一拝」。




噴気を上げる別府・鉄輪温泉




出湯坂に面する貸間旅館「陽光荘」(宿泊地)


別府・鉄輪温泉
(かんなわおんせん)は別府八湯の中でも
最も地熱が強い地帯の一つだそうで、
外から見ても湯煙があがっているのが見える程である。 

その鉄輪温泉は貸間方式の湯治場風・温泉旅館が特徴である。 

中でも「いで湯坂通り」は湯治場風情が最も残るエリアで、
その最も特徴的なのが「貸間」という名前の
湯治宿が数多く存在することである。 

貸間は基本的には温泉立寄り客や普通の観光宿泊客は受け付けず、
湯治目的の滞在型連泊、逗留するためのもので、その良さが体験出来るのである。

そんな別府・鉄輪温泉へ本日から3日間、貸間の宿・「陽光荘」に滞在することになる。


        
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北海道道北旅行
北海道旅行2005
南紀旅行2002

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立山、剣(天の記)(1971年)
白馬連峰登頂記(2004・8月)
北ア・槍−穂高(1968年)
上高地・明神(2008年)
南ア・北岳(1969年)
八ヶ岳(1966年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
谷川岳(1967年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
奥秩父・金峰山(1972年)
「上高地雑感」
「上越国境・谷川岳」
「丹沢山塊」
「大菩薩峠」
 


スキーの記録  
「スキー履歴」



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