九州の旅;写真と解説
平成年20(2008)年10月25日〜11月1日 (8日間)
福岡県⇒佐賀県⇒長崎県⇒熊本県⇒大分県⇒福岡県
天神、天満宮の総本社、大宰府天満宮・本殿と飛梅(右)
「九州」とは・・?!
四国は「身一つにして面四つ」と言われたが、同じく数字の付く「九州」は、九つの国の成立によって九州の呼称が生まれた。
即ち筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩の九ヶ国のことである。
尚、古代、大和朝廷の時代には、
九州は「筑紫(ちくし)の国」、「豊(とよ)の国」、「肥(ひ)の国」、「日向(ひゅうが)の国」と称して四つの国であった。
それが律令によって細分化され、筑紫の国が筑前(ちくぜん)、筑後(ちくご)に、豊の国が豊前(ぶぜん)、豊後(ぶんご)に、肥の国が肥前(ひぜん)、肥後(ひご)に、日向の国が日向(ひゅうが)、薩摩(さつま)、大隅(おおすみ)の九つに分けられて、
筑前にあった「太宰府」が九州全域を統括する場所として九州が完成している。
そして、日本列島で、いち早く国々が成立したのは九州であり、
その後、国々の名が付けられたのは律令国家が成立した時期(7世紀後半から8世紀前半頃)と言われる。
律令制(奈良期後半に定められた政令)において、九州は「西海道」と称し、
特に、都より山陽道、西海道を経て太宰府までつながる道を大路(主官道)と称し、
太宰府より九州各地へと向かう西海道を小路と呼んでいた。
因みに、中路は東海道、東山道等のことで当時は道を軸として国名が付されていったのである。
また、西海道の別名として鎮西とも呼ばれていた。
その間の平安時代から明治初期になって廃藩置県が決行せれるまでの凡そ1000年の長期にわたって変更がなかった。
廃藩置県以降は、府県合併を経て現在の九州七県が誕生している。
尚、今回巡ったのは九州北部の四県であるが、
過去に(2006年秋)、「日本一周の旅」で九州を一周しており、
この時の様子を下記構文(リンク)にて詳細記載してありますので参考にして頂きたい。
詳細目次; 九州(北、西部) 九州(南部) 九州(東部) 沖縄本島
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