東北紀行 (22頁)
東北地方の主に内陸部の土地々の観光、温泉、歴史を巡ってます。
( 「日本周遊紀行」の続編)
平成年22年(2010年)10月秋季
福島県⇒宮城⇒岩手県秋田県⇒山形


祝い・・!!、東北・平泉地方の歴史敵文化が2011年6月、
「世界文化遺産」に登録されました。


東北紀行2010


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 東北紀行(42)花巻 「花巻の三偉人」



  


花巻の三偉人(写真上から)
宮沢賢治:1896年生・37歳、 新渡戸稲造:1862年生・71歳、 高村光太郎:1896年生・72歳、



両記念館を見学するに及んで学問や思考、哲学が両人とも究めて深慮であったことは何人も認めるところであるが、その方向性が好対照的なのに興味を覚えた。

宮沢賢治が究極の内向的志向を昇華した人物に対して、新渡戸稲造は身を外へ外へと向かわせた外向的志向で国際的に活躍した人であり、その対極的なところが面白いのである。 
また、花巻の同地域の出身で、しかも同時期に偉大なる足跡を残したことに対し、花巻ならずとも南部・岩手県民としての人間の質の高さが伺えるのである。


そういえば、宮沢賢治は自分の故郷・「いわて」を「イーハトーブ」称していた。
イーハトーブとは、「いわて」、「いはて」をもじってつくられた造語ともいわれ、賢治の心象の中にある理想郷を指す言葉であった。 
尚、「イーハトーブ」の名称の謂れは後世の人たちによって色んな解釈があるようだ。


又、新渡戸稲造が生涯を71歳(昭和8年死去)という、当時としては日本人の平均寿命(昭和初期では男子で45歳前後)と比較するとかなりの長寿を全うしている。 
それに対して宮沢賢治は37歳という悲運の短命で生涯をとじている。(昭和8年死去、奇しくも新渡戸氏とは同年) 

僅か20年たらずでこれだけの偉業、大業を成し遂げているのであり、“れば”、”たら“になるが、もし、あと10年、20年存命していたら、遥かに稀有壮大な、計り知れないほどの功績を残す人物になっていたと想像してしまうのである。

それにしても、宮沢賢治に「天二物を与えず」という諺は相応しくないかもしれないが、才子多病、佳人薄命でありすぎた。


尚、高村光太郎については妻・智恵子のことで、二本松や安達太良の項で記載したが、ここ花巻市内に記念館(高村山荘 高村記念館)があった。

芸術家・高村光太郎が花巻にて過ごしたのは、戦争も終わりに近い昭和20年、以前から知己の間柄だった宮沢賢治を頼り、賢治の弟の家に疎開してきていたという。 
滞在期間は7年間に及び、後に、太田村山口(花巻市山口)に庵を設け、農耕自炊の生活を始めた。 
これが現在の「高村山荘」であり、この山荘から少し離れた木立のなかに高村記念館が建っているという。
館内には十和田湖の「裸婦像」の原型や妻・智恵子作の切りぬき絵などの作品のほか、智恵子とのスナップ写真や愛用品などの遺品など約130点余が展示されているという。

次回、花巻 「大沢温泉



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 東北紀行(43)花巻 「大沢温泉」  、





 大沢温泉の表模様と外観(自炊部)



新渡戸稲造記念館を後にして、我らは花巻温泉郷一つ、「大沢温泉」(立寄り湯)へ向かう。
特に、大沢温泉を選んだ理由は、花巻温泉郷の十幾つある温泉の中で、一軒宿風で川沿いに面し、大きな露天風呂があり、雰囲気もとても良いという評判であったこと。
それに宮沢賢治や高村光太郎も訪れているらしく、由緒ある温泉であることと自認したことであった。

国道283号線を花巻市外へ向け、更に、東北道・花巻南ICの南を走る県道12号線を西へ、道沿いの松倉温泉や渡り温泉を通過して、新渡戸記念館から凡そ15分ほどで大沢温泉に着いた。
この先にも、やはり道沿い、豊沢川沿いに「高倉山」、「」、「新鉛」といった鄙びた温泉が並び、「花巻南温泉峡」とも呼ばれている。
尚、途中、左手の山口地区に高村光太郎の山荘や記念館があったが、時間の都合で次回見学とした。


大沢温泉は道路右を豊沢川に向かって下りてゆく。 
駐車場のすぐ向こうに水車がありお宮もあって、いやが上にも雰囲気を醸し出している。
すぐ下の方に大きな建物が二棟立っていて、上が新館の(山水閣)、下の川沿いには旅館部の菊水館と湯治場である「自炊部」という名の古色な木造建てが建っていた。 
一軒宿と言うには、かなり大きな規模に先ず吃驚である。
特に、自炊部と菊水館は綺麗な川面を見下ろす好立地にあり、築300年という永年の歴史があり、重厚な建物はレトロな雰囲気満点で旅心、気分が盛り上がって来るようだ。


受付するため自炊部の正面玄関を潜る。
立寄り湯をお願いすると、青年(ここの主らしい)が丁寧に応対してくれる。 
何しろ浴場だけで大露天風呂をはじめ充分な浴槽が七箇所もあるのだ。
正面受付の右横には大層広い畳の休憩所があり、隅には古色な家具が実に良い雰囲気であり、客の待ち合わせにも利用されている。 フロントの左手には自炊館らしく生鮮野菜なども置く大きな売店や食堂もある。

思えば昼時はとっくに過ぎていたので、食事処「やはぎ」で地元の十割ソバと缶ビールで腹ごしらえを済ます。 
食堂は朝早く(七時半)から夜遅く(九時)まで営業しているので、自炊泊まりで食事を作るのが面倒な御仁にはうってつけであろう。



軽い食事を済ませて、イザ温泉へ突入・・!。

自炊の宿舎棟の長い廊下から、更に川原へ向かって雰囲気のいい階段を下ると
川沿いの大露天風呂・「大沢の湯」(混浴)へ、上さんは女性専用の「かわべの湯」へ向かった。 

川のせせらぎと川面をわたる涼風が実に心地いい。 
上の菊水館へ通じる「曲がり橋」やその向こうに水車が見えていて、これまた、実にいい雰囲気を醸しだしている。
紅葉には未だ少し間があるらしく、川岸に繁る楓の葉も未だ緑をしたためている。

いやー・・!、実に湯ったり、湯ったり』 

気がつくと、露天風呂であろうとも浴槽は外から見えぬよう、目隠しをされているのが普通であろう。 
しかし、ここ大沢温泉はそんなことは委細には構わず自然のままなのである。 
すぐそこの橋や菊水館の各部屋から丸見えなのである。

結構、けっこう、」


次回、「温泉の客人




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