東北紀行 (6
東北地方の主に内陸部の土地々の観光、温泉、歴史を巡ってます。
( 「日本周遊紀行」の続編)
平成年22年(2010年)10月秋季
福島県⇒宮城⇒岩手県秋田県⇒山形


祝い・・!!、東北・平泉地方の歴史的文化が2011年6月、
「世界文化遺産」に登録されました。


東北紀行2010


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 東北紀行(10)いわき湯本 「徳一と長谷寺」  、



 
  いわき市常磐上湯長の「宇治山・長谷寺」



高僧・「藤原徳一」と長谷寺について 、 

湯本の駅から1.5km、歩いても15分程度の上湯長谷地区に「長谷寺」がある。 
今では立派な庭園と瀟洒な寺院が建っているが、「徳一」が開基した寺とされ、創建年代は都が平安京に移されて間もない807年といわれる。

長谷寺の本尊である十一面観音(県重文)は鎌倉末期の仏像であるが、その胎内には長文の古文書が記されていて、その中に『奥州東海道岩崎郡長谷村観音堂徳一大師建立所也』とあって、徳一建立が明記されている。 
この古書は古寺の第一級資料に当たるとされ、内文によって『神明鏡』(14世紀後半頃、神武天皇から後花園天皇までの年代記。時代ごとに仏教や合戦などの特色が説明文で記載されている)と比較すると、平城御願長谷寺、つまり平城天皇(第51代の天皇・在位806年〜809年頃で、桓武天皇の長男)の意思で建てられたか、或はそれに準ずる格式のある寺である。
つまりは、中央政権下の藤原氏の強力な支援があったとされ、そのことが歴史的に大きい意味合いを持つとも言われる。

徳一が何故、このような片辺の地に居を構え、小院を起こしたのか・・? 、
それは、前項「石城地方」でも記したとおり歴史的必然性もあったが、更に、正面に拝謁できる「湯の岳」を目にしたからに他ならないとされる。
徳一の故郷・大和の都(奈良)には神の山・「三輪山」があり、この神山と湯の岳は余りに酷似していて両山を重ね合わせ、懐かしさに震えたかも知れないのである。

湯嶽、湯の岳(ゆのたけ)は先にも記したが、神代の昔から地元民から尊崇された御神体山であり信仰の山であった。 標高593m、湯本の町を一望におさめる名峰である。
古代、湯嶽(湯岳)を三箱(さばこ)山(三函山)とも称したらしく、徳一は、この神霊なる湯の岳を仰ぎ見て、「三学の箱(函)」を納入したことから、この地名が付いたという伝説もある。

中世には既に、この山は「サハコ山」ないし「サハク山」と呼ばれており、それに因んで山麓地域は「三函」という地名もあり、温泉もまた三函(サハコ)の湯あるいはサハクの湯と称されていたという。
三学」とは戒・定・慧(かい・じょう・え)のことで、仏教の実践の三大綱要で戒学・定学・慧学の仏道修行の根本を三学をいう。
つまり善を修め悪を防ぐ戒律と、精神を統一する禅定と、真理を悟る智慧をいう。
湯の岳の中腹にその所伝とされる観音堂跡があり、この観音堂こそが徳一の根本道場の一つだったことを物語っているといわれる。 つまり、この山全体が徳一観音信仰の霊場だったようにでもある。 
徳一開祖の会津の磐梯山・恵日寺、筑波山の中禅寺などと同じように、徳一開創観音寺とする伝えは、きわめて真実味があり由緒あるものといえる。

三函(サハコ)の地名は、今も湯本の町内に住所名として存在するが、「長谷寺」の所在地は上湯長谷である。 読みは「かみゆはせ」ではなく、「かみゆながや」と称している。
湯長谷(ゆながや)」の「長谷(ながや)」は、当然、長谷寺の「長谷(はせ)」に由来する。 
因みに、隣地に「下湯長谷」もある。 
湯の岳に向かって近いの方、つまり上の方が長谷寺の在る上湯長谷であり、遠く下の方が下湯長谷地区である。

これら、いわき湯本の「湯の岳」、「長谷寺」の根本由緒とされる大和の国の長谷寺や三輪山について、更に次回に述べることにする。

次回、大和の国の「仏と神





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 東北紀行(11)いわき湯本 「大和国の仏と神」  ,



大和の長谷寺
いわき湯本の温泉神社は、奈良期の7世紀頃、神体山である「湯の岳」より降臨(神仏などの天下ること)して里宮として遷座したもので、後に、大和国・三輪神社(現、大神神社:現在奈良県桜井三輪)の主神を勧請し、祭祀されたとものいわれる。
三輪山は、奈良盆地をめぐる山でも高さ467メートルの一際形の整った円錐形の山であり、いわき湯本の「湯の岳」と類似形をしている。 そして太古より神宿る山で、そのものが神体であり、原始信仰の対象であったとされるのも酷似しているのである。


奈良盆地の大和国は、奈良期の仏教伝来後、最も盛んに根本仏教が栄えたところであることは周知である。 
奈良時代の仏教が波及するようになって間もなく、神仏混交、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)という神道と仏教を両立させるための信仰行為が成立する。 神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)とも言われる。

仏教が国家の宗教となったのは奈良時代で、東大寺を建立した聖武天皇の時からであったが、実は天皇というのは神道の神様を祀る中心的立場にあり、100%仏教とは行かなかったようである。 つまり、仏教は、すんなりと日本人が受け入れたわけではなく、紆余曲折があったことは良く知られている。 
そこで、神様と仏様が歩み寄る必要が出てきて、歩み寄ったのは神様の方であり、因みに、その一番手が八幡神(宇佐神宮・応神天皇、大分県宇佐市)だったとされている。

日本において神仏習合思想に基づいて、神社を実質的に運営する仏教寺院が設けられ、この寺院を「神宮寺」と称した。 そこで三輪神社の神宮寺は、大神寺、通称、大御輪寺であった。(現在は、神仏分離で三輪若宮神社になっているらしい)
この寺院には天平国宝の十一面観音が祀ってある。 観音信仰の中心的菩薩である。
仏像の中でも大衆の信仰心を最も篤く受けてきたのは「観世音菩薩」であり、特に十一の面相を持つ十一面観音は、他の観音より強大なパワーを持つと信じられている。

その本尊・十一面観音の観音信仰の中心は「長谷寺」であるが、その根本御堂が三輪神社・三輪山の東に位置する大和・初瀬(泊瀬)川の「長谷寺」であることは興味のある方は周知である。 
初瀬川は聖なる川といわれ、初瀬が生じて「はつせ」・「はせ」・「長谷」になったとされる。 初瀬川は長谷川でもある。
三輪山の神に仕える巫女、彼女たちが禊ぎをするのが初瀬川であり、「長谷寺」の興りはこの三輪山と初瀬川ともいわれる。 
三輪山のご神体が初瀬川で生まれた「龍神」であり、龍神信仰と結びついたのが長谷信仰の根本である「十一面観音」であった。


大和の大神神社 ,
三輪山の神に囲まれた大和は王城の地であった。 ではそれ以前は・・? 
旧態豪族の住む地であったとされ、ヤマト王権の初期の三輪政権(王朝)が存在したものと考えられているという。

神武天皇が九州の地(日向・美々津)から紀の国へ上陸し、奈良盆地を平定するとともに、この地域全体を「大和」と呼ぶようになった。(古事記、日本書紀の記録による。 歴史的には邪馬台国の東征ともいわれる) 
更に、平定が日本全土に及ぶと大和の国と呼び習わすようになった。 
「大和朝廷」の都の成立であり、歴代大王=歴代天皇家の地となった。

その信仰の中心的支柱が「三輪山」であった。 
記紀には、『その神、大御和(おおみわ)の神奈備(かんなび)に坐せ』とあり、つまり、「大御和の神奈備(三輪山)に大物主神を御祀り申し上げた」と記載されている。 大神(おおみわ)神社である。
大御和(おおみわ)、大御輪(おおみわ)、大神(おおみわ)、大三輪(おおみわ)の関係がチョッとややこしいが・・、 本来、奈良の地域を古代には大御和の地と呼ばれていたらしく、この地に大神(おおみわ)神社が祭られ、地域名も「大御和」変じて「大和」になった、とする見方もある。 一方、この地域を三輪地方とも称している。
現在、この三輪山の麓である三輪地方はどのような土地柄になっているのだろうか・・?、序ながら次回に記載したい。

次回、古代の大和の国  、



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