東北紀行 (28頁)
東北地方の主に内陸部の土地々の観光、温泉、歴史を巡ってます。
( 「日本周遊紀行」の続編)
平成年22年(2010年)10月秋季
福島県⇒宮城⇒岩手県秋田県⇒山形


祝い・・!!、東北・平泉地方の歴史敵文化が2011年6月、
「世界文化遺産」に登録されました。


東北紀行2010


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 東北紀行(54)乳頭温泉 「鶴の湯の歴史」  ,



 鶴の湯の入口付近 (tga72)



 鶴の湯の宿泊棟 (tga74)



鶴の湯の宿舎の中で、本陣の建物は築100年以上のたたずまいをそのまま保存しているという。 
もっとも二棟あったものが20年前に豪雪でつぶれて一棟になってしまったともいうが。


鶴の湯そのものは300年から350年の歴史があるといい、伝承や由来記によると寛永15年(1638年)5月に秋田藩主・佐竹義隆公が湯治に訪れた記録があるという。

藩主・佐竹義隆の存命期間は1609年から1672年であり、二代目藩主に着位したのが1633年であるから、ほぼ開湯間もなくに訪れたことになり、整合性は取れていると思う。
それに、本居城・秋田(当時は久保田藩)から乳頭温泉までは概ね100km足らずで、しかも途中には「角館」(後ほど記載します)という佐竹家の支藩分家(佐竹北家)もあり、ここから乳頭温泉へは25km前後である。 


徳川の世も安定期に入りつつある当時、大沼(田沢湖)の向こうの山奥で珍しい温泉が湧いているらしいとの事が耳に入って、“それじゃ保養のためにも、出かけてみようか“ということになったのも頷ける。 
併せて、或いは角館・佐竹北藩の藩主、藩士たちも度々訪れ、湯治場としても利用されるようになったのは云うまでもない。 

その後、一般民衆も訪れるようになり、専門の湯宿場としては元禄期(1700年頃)には始まったとされている。  
そんな訳で、鶴の湯に「本陣」(殿様かそれに準じた者が泊まる宿; 江戸時代の宿で、大名・幕府役人・勅使・宮門跡などが宿泊した公認の宿舎)という名が付いたのも納得がいくのいである。



余計ながら、久保田藩(秋田藩)の2代目藩主・「佐竹義隆」(旧姓は岩城氏)は、我が故郷、福島県いわき市、当時の岩城地方の名門の出である。 
秋田藩(久保田藩)の藩租・佐竹氏といい、いわきの岩城氏といい関が原の戦いで苦敗をなめた関東・常陸の名一族でもある。

詳しくは下記、小生のホームページへどうぞ。
日本周遊紀行』: http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/
東北・いわき平』: http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-15-5.htm
秋田岩城・亀田地区』: http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-3-3.htm



鶴の湯温泉は秋田新幹線(田沢湖駅)からも近く、田沢湖から北東に距離で約10数km、車で30分ほどの所にある。
この鶴の湯は、乳頭山(標高1478m)の西側斜面に点在する七つの一軒宿の温泉、すなわち孫六、黒湯、蟹場、乳頭、妙乃湯、大釜とを併せた乳頭温泉郷の一つである。

敷地内に六ケ所の源泉があり、湧出時は無色透明であるが、時間の経過につれて次第に白濁するという。 
乳頭山の山裾から湧出している源泉は火山性の温泉らしいが有史以来の噴火の記録はない。 


浴室に掲示された白湯、黒湯、中の湯、滝の湯、鶴の湯などの源泉の分析書ではpH6〜7とほぼ中性で、白濁ながらさっぱり、安心で誰でも気兼ねなく入れる。
泉質は成分、低張性中性高温泉の含硫黄−ナトリウム−塩化物・炭酸水素塩泉(旧泉質名・含硫黄・重曹ー食塩泉)が主体となっているが、特に臭み刺激臭である硫黄臭などはない。


鶴の湯情報

[宿泊定員数]  65人
[客室数]  35部屋
[温泉総利用量]  280g/分(源泉6ヶ所分)
[湧出状況]  自然湧出
[温度]  58.5℃(測定年月日 平成15年1月14日)
[湧出量]  60g/分(自噴量)
[引湯方法]  自然落差で30m引湯
[温泉の温度の調節方法]  木の樋で流して外気で温度を下げる

〒014-1204 秋田県仙北郡田沢湖町田沢字先達沢国有林50   
電話 0187-46-2139

次回、最後に「乳頭温泉郷の秘湯紹介



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 東北紀行(55)乳頭温泉 「乳頭温泉郷の秘湯」   、



 乳頭温泉郷の概要地図  (tga80)



秘湯;乳頭温泉郷の一角には七つの一軒宿の温泉、すなわち孫六、黒湯、蟹場、鶴の湯、妙乃湯、大釜温泉など野趣満点の温泉がある。
尚、この温泉場は次回に訪問を予定にしているが、その内、温泉や建物等を比較して、秘湯中の秘湯といわれる二軒の温泉宿を紹介しておこう。 


「黒湯温泉」


 乳頭温泉郷の「黒湯温泉」の様子  (tga81 tga82)


乳頭温泉郷の中では最も奥にあり、秘湯の代表として雑誌に紹介されることの多い宿である。
歴史も古く江戸時代から人々に親しまれてきた萱葺き屋根の湯治場で、その歴史も古く鶴の湯と同じく秋田藩主の湯治場として、又、地元の人々や山に入るマタギ達の、疲労回復や持病治療のための温泉として親しまれてきたという。

特に、黒湯温泉は打たせ湯が有名で、その様子がしばしばテレビや雑誌で紹介されている。
乳頭温泉の中ではもちろん、全国的にも人気が高い宿のようだ。
乳頭温泉の中では、鶴の湯が一番人気だが、かつては、ここ黒湯温泉が一番人気だったらしい。

建物の脇を通りぬけると、硫黄の噴出す河原の中に露天風呂があり、他にも屋根は茅葺きで柵も曲がった木でできていて、このワイルド(野性味)さがとても絵になっている。
浴槽は内風呂、露天風呂、女性専用露天風呂、打たせ湯なので、泉質は主に「単純硫化水素泉」  

但し、11月中旬〜5月中句までの冬季積雪期間は休業らしい。


「孫六温泉」

 

 乳頭温泉郷の「孫六温泉」の様子  (tga83 tga84)


当地を整備したのは自ら湯治に来た「田口久吉」という人物で、生来病弱だった彼が、江戸期の慶応末期に自ら温泉療法を始めて体質改善を果たし、広く世の患者に恩恵をもたらしたという。 
そして、その効能を知った田口は1906年(明治39年)に湯治場を開き、その後長く湯治場として営業してきたという。

現在も、山小屋風の一軒宿はひっそりと茂る林の中に在り、雰囲気がとても野趣満点でいかにも湯治場といった素朴な佇まいを有している。
泉質の違うラジウム含有泉をはじめ四ッの浴場と露天風呂がある湯治場で、乳頭温泉ではここが1番湯治と言う言葉が似合う宿とされ、別名、「山の薬湯」とも言われて湯治客も多くいる。

孫六温泉は、黒湯温泉または大釜温泉に車をおいて、ここから其々10分、15分歩いていくことになる。
簡素な宿舎や湯小屋が立ち並び、客室は15室、他に20名を収容できる自炊部がある。 
風呂は先達川の河畔に並び、全部で6ヵ所の内湯・露天風呂がある。

次回、「田沢湖




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