東北紀行 (29頁)
東北地方の主に内陸部の土地々の観光、温泉、歴史を巡ってます。
( 「日本周遊紀行」の続編)
平成年22年(2010年)10月秋季
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 東北紀行(56)田沢湖 「田沢湖」 ,






 田沢湖の展望地 (2枚、tga85 tga86)




乳頭温泉からの帰路、暫く進むうちに、来るときは気が付かなかったが田沢湖高原の一角に田沢湖を望む「黒森」という園地兼展望地があった。 
秋色濃い湖沼周辺も合わせて明美な風景が望まれた。
観光地でもある「田沢湖」は先般の東北旅行で立寄っているので今回は遠慮することにしている。

ところで田沢湖を著名ににしている一つに、田沢湖畔に佇む「たつこ像」の像が立っている。 チョッと艶っぽい全裸の像で、最近では“金ピカ“に輝いているという。

『 北方の海沿いに、「八郎潟」という湖がある。 ここには人間から龍へと姿を変えられた八郎という龍が棲んでいた。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟(現在大半は干拓で農地化されている;大潟村)は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという 』



田沢湖の最大深度は423.4mで日本第一位であることは周知である。 
第二位は支笏湖、第三位は十和田湖で、世界では17番目に深い湖である。(世界で最も深い湖はバイカル湖)。
この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。 そのためか日本のバイカル湖と呼ばれていた。


田沢湖には、ロマンチックな辰子姫の伝説物語の他に、悲劇的な現実のストリーがあった。
田沢湖の上流に有名な「玉川温泉」があり、強酸性泉としても知られる。 
戦前の昭和15年頃に発電及び農業振興の目的で、玉川温泉の温泉水が混じる玉川の水を田沢湖へ導水するというものであった。 
玉川温泉は源泉でのPH(酸、アルカリを示す指数、中性は7.0)は何と1.0というものであり、まさに塩酸そのもので、しかも97℃の水温で毎分4800Lという湧出量であった。 
その強酸性の温泉排水が流れる水は自然へ対して「玉川悪水」とよばれ、まさに生物の生存しない水であった。


発電事業のため玉川の水(温泉水)を田沢湖へ導水し、結果として湖水は酸性と化し、魚類はほぼ生存不可能となっていて、勿論、田沢湖固有の清流魚・『クニマス』(陸封魚の珍種)も絶滅したと言われている。

現在では、玉川温泉排水部分に中和処理施設が設置され、田沢湖の水質は以前よりは回復してきているが深度が余りに深い為、2000年の調査でも湖全体の回復には至っていないという。 
生息魚種はウグイ・ギンブナ・コイの三種類のみに限られていて、清流魚は生息していない。

次回、田沢湖の珍魚・「クニマス



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 東北紀行(57)田沢湖 「クニマス」   、





 体長凡そ20cmの「クニマス」(動物図鑑)




ところで、クニマス(国鱒)の語源は、江戸時代に田沢湖を訪れた秋田藩主がクニマスを食べ、純粋な国産種の鱒ということから「国の鱒」と名付けられたといわれる。
先にも記したが、江戸初期に秋田藩主・佐竹義隆公が藩主としては最初に乳頭温泉・鶴の湯に入浴した記録が残されていて、その後も秋田藩・佐竹氏や佐竹北家(角館)の御用湯治場となっていた。 

温泉遊山の道々、田沢湖の秀麗な風景を堪能し、田沢湖産の魚類を食したことは当然でもあるが、その時、具体的に国鱒と命名したのは何代の藩主かは定かでない。 
しかし、これより以前に「クニマス」は「キノシリマス」(木の尻鱒;の語源は、辰子伝説の一つで、木の尻(松明)を田沢湖に投げたところ魚の姿になったという伝承から名付けられた)とも呼ばれて、時期になるとこの魚を塩引きにして秋田の御屋形様へ献上し、更には飛脚で江戸藩邸へ移送していたらしい。

クニマス」は殿様の食膳にも上る御品で、下々では「ぜいたく品」であり「もったいない」とあってなかなか口にできないものであったらしい。 
湖岸の漁民も換金魚として大切に扱い、豊漁の年でも冠婚といった特別のとき以外は食べなかったという。 
大半は城下・角館町に売りに出されていて、 その角館でも買う家は地主、上級武士、豪商など決まっており、一般の民が口にするのは大変なことで妊産婦か病人に限られていたという。


【追記】
このような絶滅した貴重な魚、70年前に完全に絶滅したとされたクニマスが、2010年に山梨県の西湖にて生存個体が確認されたという。
西湖の漁師は、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなかったらしい。 
このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10匹に1匹程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」などと再発見説を唱える者がいたという。

きっかけは、京都大学の教授と我らが「さかなクン」のコンビネーションで、クニマスを見出しや発端となったらしい。 
イラストを書きながら「さかなクン」が妙に思って教授に話し、専門家に依頼して解剖や遺伝子解析を実施したところ、その結果が西湖の個体であるクニマスであることが判明し、70年ぶりに生存が確認されたという。


以前に、田沢湖では人工孵化の実験をするため、1935年ころであるが本栖湖、西湖、他にも琵琶湖に送ったという記録があるらしい。 
又、近年になって田沢湖町の観光協会では100万円、次には500万円の懸賞金を懸けてクニマスを捜し、全国から14尾が寄せられたが、鑑定の結果いずれも「クニマス」とは認定されず、発見には至らなかったという。


クニマスの再発見の知らせを受けた秋田県の仙北市と田沢湖観光協会は、早速、「クニマス里帰りプロジェクト」を正発足させ、国や県と協力して田沢湖の水質改善を進めるなど、将来的にクニマスを田沢湖に戻すことを前提とした諸活動を計画開始しているとのこと。

しかし、現在でも田沢湖の水は依然として強い酸性を保っており、単にクニマスを田沢湖に戻すには程遠い状況にあるとされ、当面はクニマスの生態調査に力を注ぐと同時に、県内の他の場所でもクニマスを養殖できないか、山梨県とも協力しながら検討を続けていく方針という。


今年(2010年)の今上天皇の誕生日(12月23日)にあたって、このたびの「クニマス」発見のニュースを聞いて、特別に「さかなクン」など関係者に対し、お言葉があった。

『 この生物多様性年も終わりに近い頃、日本の淡水魚が1種増えました。それは、最近新聞などでも報じられたクニマスのことです。クニマスは田沢湖にだけ生息していましたが、昭和の10年代、田沢湖の水を発電に利用するとき、水量を多くするため、酸性の強い川の水を田沢湖に流入させたため、絶滅してしまいました。ところがこのクニマスの卵がそれ以前に山梨県の西湖に移植されており、そこで繁殖して、今日まで生き延びていたことが今年に入り確認されたのです。本当に奇跡の魚(うお)と言ってもよいように思います。クニマスについては、私には12歳の時の思い出があります。この年に、私は、大島正満博士の著書「少年科学物語」の中に、田沢湖のクニマスは酸性の水の流入により、やがて絶滅するであろうということが書かれてあるのを読みました。そしてそのことは私の心に深く残るものでした。それから65年、クニマス生存の朗報に接したわけです。このクニマス発見に大きく貢献され、近くクニマスについての論文を発表される京都大学中坊教授の業績に深く敬意を表するとともに、この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授「さかなクン」はじめ多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います。クニマスの今後については、これまで西湖漁業協同組合が西湖を管理して、クニマスが今日まで守られてきたことを考えると、現在の状況のままクニマスを見守り続けていくことが望ましいように思われます。その一方、クニマスが今後絶滅することがないよう危険分散を図ることはぜひ必要です 』

次回、「角館








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