東北紀行 (32頁)
東北地方の主に内陸部の土地々の観光、温泉、歴史を巡ってます。
( 「日本周遊紀行」の続編)
平成年22年(2010年)10月秋季
福島県⇒宮城⇒岩手県秋田県⇒山形

祝い・・!!、東北・平泉地方の歴史敵文化が2011年6月、
「世界文化遺産」に登録されました。


東北紀行2010

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 東北紀行(62)角館 「河原田家と小田野家」



 

 

 
 河原田家;薬医門と母屋玄関、 苔むした庭園と散策歩道



次に訪ねたのがお互いが隣接している河原田家小田野家である。
両家の門の近くは、葉が今にも落ちそうな枝垂桜の大木が、撓った(しなった)枝を被らせている。 

河原田家の薬医門は青柳家同様堂々たる構えであり、前面黒御影の石標には「史跡武家屋敷・河原田家」と記されていて判りやすい。 

母屋室内には直接入れないが、庭園へ通じる脇門から入ると洒落た見学用の木道が作られていて、書院作りの表座敷を見ることができる。

こちらは母屋を見るより庭園の見事さに感心する。 
苔むした地面の所々に石を配し、年輪を感じさせる樹木が覆っていて風情が美事である。

母屋の内部は庭園から眺められ、間取りなどは武家住宅の形式を踏襲していて、屋敷の構成は藩政時代そのものといわれる。
木の道は、そのまま隣家の小田野家通じ、当家の薬医門が出口になっている。



 


 
  小野田家薬医門と母屋



小田野家は医薬門から玄関までの長いアプローチで、珍しくドウダンツツジが生い茂っている。 
シンプルな造りの玄関前から母屋の表庭に回って見ると、これ又珍しく鬱蒼とそびえる樹木の庭の下草には笹が一面に植え付けられている。 
母屋の玄関も一般の通用口と正式のものとを一緒に使い、玄関土間の上がり床(カマチともいう)で身分を区分するといい、中級武士の屋敷造りとなっている。 
間取りは近世武家住宅そのものだが、全体的に簡略化されているという。



河原田家は岩橋家同様、戦国時代に芦名氏の譜代として会津から角館へ移って本家100石、分家50石を拝領した。 
芦名氏断絶後は佐竹北家の組下となるが、幕末から明治にかけて分家が著しく発展し、明治24年に裏町からこの東勝楽丁(町名)へ移り住んだという。

又、小田野家の本家は平賀源内に師事し、洋画(秋田蘭画)を確立した小田野直武(縁戚関係にあった青柳家に胸像がある)を輩出している。
又、分家は居合いの師範(柳生新陰流)や眼科治療などの功績があった異色な家柄でもあったという。

次回、「角館と佐竹家



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 東北紀行(63)角館 「角館と佐竹家」


石黒家では特別に女性の案内係がいて、石黒家や角館の歴史や謂れをガイドされていたが、ここで初めて角館は佐竹家の支藩(北家)であった事が判った。


「佐竹氏」といえば小生にとって懐かしい響きを感じるのである。 
先ず、小生の生母は山形旧家出身の「佐竹」と称していて、ヒョッとしたら出羽・秋田の佐竹氏とは何らかの因果関係があるのかもしれない。 
又、我が故郷でもある出身地の東北南部の「いわき」は、秋田本藩二代目藩主の出身の地でもあるのです。

秋田の南に位置する岩城町は(2005年、由利本荘市となる)、江戸期には「岩城藩」または「岩城亀田藩」と呼ばれていた。 
江戸初期に岩城亀田藩が設立され時、その初代藩主当たったのが岩城吉隆であった。

戦国期、福島県浜通りの「いわき地方」を治めていたのが岩城氏であったが、関ヶ原の戦いで苦渋をなめ戦後、磐城12万石は没収されてしまう。 
だが数年後、岩城吉隆は大名復帰を許されて出羽亀田藩の藩主となるのである。 
更に、岩城吉隆は子供のなかった秋田藩の祖・佐竹義宣の養子に迎えられ、秋田藩第二代の藩主となって「佐竹義隆」と名乗るのである。



話が反れたが・・、
女性の案内係に更に、“角館の町割り”は判ったが、統治者・佐竹氏(芦名氏)の主城は何処かと尋ねたところ、街の北の外れ「古城山」にあったと聞いた。
確かに、広い街路より小高い丘のような、小山のような姿が見えていた。


角館は佐竹氏支藩である佐竹北家が統治していたが、その主城は現在のその名も「古城山」にあったとされる。 
創築は前代の戸沢氏によって築城されたといわれる。

戸沢氏は後に移封され、替わって常陸より佐竹義宣が羽後国秋田・仙北へ入部し、角館城には義宣の弟・盛重(後に芦名義勝と名を改める)が1万5千石で入れ置かれ、現在の角館のもととなる北麓に城下町を造り、お城を角館城として改築を行い、軍事的機能を優先した町づくりが行われた。

しかし十数年後、江戸幕府の一国一城令によって角館城は破壊されて古城山南麓に居館のみが設けられたという。 
古城山には現在公園として整備競れているが、遺構として曲輪・土塁・堀が残っているという。
尚、当主・芦名家及びその後の佐竹北家の居館はどの場所でどのような威容を誇ったか、はたまた、現在、遺構や遺跡が残されているかは関知していない。

次回、角館の概要




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