東北紀行 (38頁)
東北地方の主に内陸部の土地々の観光、温泉、歴史を巡ってます。
( 「日本周遊紀行」の続編)
平成年22年(2010年)10月秋季
福島県⇒宮城⇒岩手県秋田県⇒山形

祝い・・!!、東北・平泉地方の歴史敵文化が2011年6月、
「世界文化遺産」に登録されました。


東北紀行2010

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 東北紀行(73)真室川 「真室川音頭」   、



金山の西隣に真室川があり、その向こうに大沢地区がある。
山形県は民謡が盛んなところだが、その中心がこの辺りであるともいわれる。

先ず、真室川の民謡で、男心をクスグル「真室川音頭」を紹介しよう。


真室川音頭」 山形県民謡

私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ
あなたまた このまちの鶯よ
花の咲くのを 待ちかねて コーオリャ
蕾のうちから 通って来る

蕾のうちから 通っては見たが コーオリャ
ひらかぬ 花とて気がもめる
早く時節が 来たならば コーオリャ
一枝ぐらいは折ってみたい

夢を見た夢を見た 夢を見た コーオリャ
あなたと添うとこ 夢を見た
三三九度の盃を コーオリャ
いただくところで目がさめた

真室川よいとこ 新庄を受けて コーオリャ
娘また美人で 唄どころ
のぼりくだりに ちょいと足とめて コーオリャ
聞いてまたお帰りこの音頭

裏からまわれば 垣根コあるし コーオリャ
表からまわれば 犬吠える
なくな騒ぐな泥棒じゃないよ コーオリャ
この家娘さんにちょいと用がある



元唄は明治時代、千島列島・樺太の出稼ぎ労働者が歌った作業唄「ナット節」であったとされる。
大正時代になり、町に鉱山が開発され(現在は廃坑)、大日本帝国陸軍・真室川飛行場の建設工事が始まると、全国から集まった出稼ぎ労働者達の間で、「ナット節」の歌詞を卑猥に改変した「真室川花電車」が歌われるようになった。

「ナット節」 
(北海道・道南民謡)
裏の畑に 蕎 播いて
そのまた隣に 粟 播いて
そのまた隣に 黍 播いて
ソバ通ってアワなきゃ キビわるい


 
次に、「あがらしゃれ」という大沢地区の愉快な民謡


「あがらしゃれ」 山形民謡

たんと飲んでくりょ なにゃないたても
わしの気持ちが 酒肴

大沢三千石 居たくねじゃねども
朝飯や昼飯 昼飯や夜飯 夜飯夜中で たんとこまる

あがらしゃれ姉なや お前アそげたやヨ
お前アあがらねでァ 気がすまぬ

酒を嫌だか お酌とり嫌だかヨ
お酌いやなら 代りましょう
  
飲まば飲めちゃや 二斗入り臼でヨ
それで足らねば 大桶で飲め

(間奏略)


小生みたいな、のん兵衛にとっては実にたまらん民謡である。 
この民謡、 別名「大沢節」といい秋田及び酒田へ抜ける街道の宿場でよく唄われたという。 
ここでは宿の主人が来客に酒をすすめる時に、この唄を歌いながら勧める。 飲まない時は両側から押さえつけ、耳を引っ張り、口に酒を注ぐ。 酒を飲み、正気を失えば、神々の住む世界に近づけると考えていたからである。
古風な信仰を伴った酒盛り唄はここだけに残り、土地では手拍子を取りながら唄っているという。

次回、新庄



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 東北紀行(74)新庄 「山形民謡の古里」  ,



そして、真室川の直ぐ南が新庄である。 

先ずは、民謡をどうぞ・・!


新庄節」  山形民謡

ハアー(ハッ キッタサ)
あの山高くて 新庄が見えぬ(ハッ キッタサ)
新庄恋しいや 山憎や(ハッ キッタサ)  
※お囃子は以下同じ

ハアー
猿羽根山(さばねやま)越え 舟形越えて
逢いに来たぞや 万場町へ

ハアー
どうせ住むなら 最上の新庄
人に実もある 花もある

東雲の東雲の夜明けの頃に 雀がチュンチュン カラスがカアカア
お空に鳶(とんび)が ヒョウロヒョロ
して又お寺の 金木魚(かねもくぎょ) スコポーン スコポン コポンコと
鳴らぬうちゃ 帰さりょうか




いやー、実に愉快な民謡である。
あの山高うて 新庄が見えぬ 新庄恋しや 山憎や
これも酒席での騒ぎながら歌う唄で、甚句(七・七・七・五の4句から成る踊り)の一種、野暮で小粋で、そして哀切な味わいがいい。


新庄は歌のように、南に神室連峰の陣ヶ峰、大森山、杢蔵山、八森山の美しい山々が見渡せ、この他にも遠く鳥海山、月山、葉山を眺めることが出来る。


新庄は「戸沢氏」が江戸期より明治維新まで治めた城下町である。
角館の武家屋敷の項でも記したとおり、元より戸沢氏は戦国期まで角館の城主であったが、芦名家そして佐竹北家が入城する直前に新庄(一時、常陸国松岡;現在の茨城県高萩市へ移封されている)へ移ってきたのであった。
この時より、250余年に渡る戸沢氏の藩政が始まる。


江戸時代を通じて戸沢氏は領国経営に熱心であり、多くの飢饉を乗り越えて石高4万石を実石6万石にまで増やすことに成功する。
新庄祭」で歌われる民謡・新庄囃子には「昔ゃ戸沢の8万石よ」の文句もあり、祭は「東北三大山車祭」の一つで毎年40万人を越える人出があることで有名だそうである。
江戸中期の大凶作に喘いだ新庄藩が領民に活気と希望を持たせると共に豊作祈願をするため氏神の天満宮で大祭典を行ったことに始まるという。


戸沢氏は桓武平氏の流れをくむ名家で、出羽国角館に移動して以来、一族が集結して新体制を敷き、戦国大名としてのスタートを切った。
江戸時代には新庄藩主として明治維新にまで到っている。

羽州街道の宿場町でもあり、磐根街道(現、国道47号)」が開削される明治時代初頭までは庄内町清川まで道路がなかったため、市西部の本合海集落は最上川水運の主要積出港であった。 
この頃、最上川舟歌の元歌が唄われていたのかもしれない。 
現在の舟歌は昭和期になってからのアレンジらしいが・・?。


現在の新庄市は、最上地方の一極集中型であるという。 
位置的に南北の交通と東西の交通が交わる要衝で道路網では国道13号と国道47号が交差し、鉄道では奥羽本線が南北に縦断し陸羽西線と陸羽東線が東西に横断する。
また山形新幹線の終点でもある。

地理的な特性から最上郡全体からの交通路も新庄市内に集中する構造になっており、は新庄市は最上郡の消費活動全体を支えていると言える。


山形県には他にも良い民謡がたくさん有るが、たとえば、市内を流れる「最上川舟唄」、「庄内おばこ」、「酒田甚句」、そして「花笠音頭」である。
その花笠音頭の古里、尾花沢、そして銀山温泉へ向かう。

次回、「尾花沢




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