東北紀行 (43頁)
東北地方の主に内陸部の土地々の観光、温泉、歴史を巡ってます。
( 「日本周遊紀行」の続編)
平成年22年(2010年)10月秋季
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 東北紀行(83)銀山温泉 「遊歩道と銀鉱跡」
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 白銀の滝 



 せことい橋



翌朝は温泉街の外れにある銀採掘の史跡を訪ねることにした


その銀山川沿いに上流に向かって歩いていくと、すぐに街並は途切れて大きな白銀の滝が見えてくる。 
白銀の滝」といって意外と水量も多く、二本の堂々とした流れが滝壺に落ち込んでいる。

その上に出る道がこれまた良い、心地よい「長蛇渓」と呼ばれる川底が一枚岩になった渓流が、やや紅葉がかった周囲の景観とマッチして素晴らしい。
そこに架かる「せことい橋」も円弧を形どったレトロな橋、昔の風情があり風景にマッチしてよい。
右手の坂道をしばらく登って河畔にでると斉藤茂吉の歌碑が立つ

『 たらちねの 母がつりたる 青蚊帳を 
            すがしといねつ たるみたれども
 』 とある。





 写真は儀賀市郎左衛門の像 



  
 見学用の銀鉱跡坑内入口 




 銀山鉱内の様子1 



 銀山鉱内の様子2


そこをさらに上流に昇っていくと、銀鉱の発見者とされる「儀賀市郎左衛門」の像が建っていて、間もなく銀山の鉱洞跡がある。
見学用の鉱洞は2箇所あって短い距離ではあるが、鉱洞の中は昔の面影が偲ばれ迫力満点である。
銀鉱洞は延沢銀山の廃坑洞で坑洞内には黒ずんだ岩肌を貫いて鉄柵の歩道橋が付けられ、照明設備も整っている。 

なぜ岩肌が黒ずんでいるか・・?、
昔は、鉱脈の肌を薪木や木炭を燃やして表面を加熱し、其処を水によって急冷し、母岩表面から鉱床を剥ぎ取るように採掘するのだそうで、「焼き掘り」 と呼ばれる独特な採鉱法が採用されていたからだそうである。 
壁面には薪木や木炭を燃やした際に付着した“すす”(煤)が、現今になっても露肌に確認できる。





 「疎水口」といわれる坑内入口


戻りしな、白銀公園の横にある洞窟を覗いてみた。 
入り口は立派な石組みをしてあって、こちらも銀鉱洞かなと思ったが、実は「疎水坑口」と記されてあった。
説明板には排水・運搬・通路を主目的とした坑道で、1kmを越える長さがあったが、現在は坑口から135m位の場所で崩落してしまっているとのこと。



銀山の遊歩道」について、地元の観光案内では以下のコースを紹介している。

◎ ゆったり散策コース(約1.9km 約90分)
銀山温泉街→白銀の滝→せとこい橋・籟音の滝→河鹿橋→夏しらず坑→銀鉱洞→儀賀市郎左衛門の像→滝の不動尊→山の神神社→銀山温泉街

◎ 銀鉱洞直行コース(約1.4km 約60分)
銀山温泉街→銀鉱洞→銀山温泉街

◎ 滝見コース(約0.8k 約20分)
銀山温泉街→せとこい橋・籟音の滝→コウモリ穴→白銀の滝→銀山温泉街



次回、「銀山の歴史



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 東北紀行(84)銀山温泉 「延沢銀山の歴史」  ,


尾花沢延沢の銀山は、室町時代の中期(15世紀中頃)加賀・金沢の儀賀市郎左衛門という人が発見したという言い伝えがある。 
市郎左衛門は、松島や塩釜の観光を経て出羽の国(山形)の出羽三山、湯殿山などの参詣の道すがら、彼はその晩「上柳渡戸村」(現、尾花沢市)に宿を取った。

その時、宿の主人から黒く光る石が笠頭山に沢山あることを教えられ、主人の案内でその山の鉱石を拾い集め加賀・金沢に帰郷した。 

その足で山師に品質の鑑定をしてもらったところ、素晴らしい良質の銀鉱石だったことを知り、人夫30人を連れて来て銀鉱石の採掘にとりかかったと伝えられている。



時は経て・・
戦国期の慶長年間には最上氏の家臣で延沢氏の領有下にあって山師に開山を命じ、江戸初期には山形城主の鳥居氏の支配する頃が銀の採掘が最盛期で、銀山はシルバーラッシュの時代となり、界隈は2万5千人の人々が軒を並べ、人で溢れたという。


『 野も山も町屋となり、花の江戸にもひとし 』

『 出羽の銀山、裸でいても 金や宝は掘り次第 』

とその盛況ぶりを表現している。



最盛期には島根の石見銀山兵庫の生野銀山とともに三大銀山と呼ばれていた。
これら三つの銀山の歴史は概ね共通していて室町期より採掘が始まり、江戸期に最盛期を向かえている。

小生の旅記録
日本の世界遺産」 http://orimasa2005.web.fc2.com/
世界遺産・石見銀山」 http://orimasa2005.web.fc2.com/ig-1.htm 



延沢銀山概史

康正2年(1456):儀賀市朗左衛門が銀鉱石を発見、翌年採鉱開始
慶長3年(1598):豊臣秀吉に最上金銀山より産金銀を上納した
元和8年(1622):鳥居氏山形城主となり延沢氏家臣銀山請負、
寛永11年(1634):鉱山の坑道は53を数え、人口激増、幕府直轄の公儀山となる
寛永13年(1636):尾花沢の天領(幕府直轄)となる
寛永19年(1642):銀山に代官陣屋を設け下郷天領を兼ねて治める
正保4年(1647):西山を掘り尽くし産銀量減少により東山に移るが成果なし
元禄2年(1689):大崩壊が発生
元禄15年(1703):産銀量減少で休山状態

次回、「銀鉱と温泉




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