東北紀行 (44頁)
東北地方の主に内陸部の土地々の観光、温泉、歴史を巡ってます。
( 「日本周遊紀行」の続編)
平成年22年(2010年)10月秋季
福島県⇒宮城⇒岩手県秋田県⇒山形


祝い・・!!、東北・平泉地方の歴史敵文化が2011年6月、
「世界文化遺産」に登録されました。


東北紀行2010


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 東北紀行(85)銀山温泉 「銀鉱と温泉」 ,



銀山川は下流の「丹生川」に合流し、最上川にそそいでいる。
丹生」のと言う地名は各地にけっこうあり、丹生は丹が出土するところ、即ち、「丹」とは赤土のことで硫黄と水銀との化合(辰砂:しんしゃ・水銀製造や赤色絵具の主要鉱石)したもので、水銀などを含む鉱脈と関連するようである。


この丹生川と関連があるかどうかわ定かでないが・・、
大昔、日本の最古とされる古書(魏志倭人伝)には「その山には丹(辰砂)あり」と記されていて、現に紀州の紀ノ川沿いには、飛鳥期の以前から水銀の採取を行っていたとする記録がある。
そこには丹生一族という専門集団がいて採掘、精錬をしていたとされ、現在その周辺には丹生神社という社が50幾つもあるという。


今でこそ、水銀と銀とは全く異なった物質であるが、大昔の人々は同一のものと考えていたようである。 
又、“金属(主に貴金属も含む)が産するところに温泉あり、温泉の出るところに金属あり“とも考えられていたようである。 

金属、特に貴金属の産する鉱床は「熱水鉱床」とされていて、地球の熱水(主にマグマによる)によって吹き上がってきた物質、或は、接触している周辺岩盤を溶解させ、長時間の間で山のように沈殿、集積したできた鉱脈が出来上がったものを指す。
熱水は温泉水を伴っていて、時には熱温水は温泉となって近くの地表に湧き出し噴出する可能性もあるという。 
特に、硫黄成分を伴う温泉は概ね火山性の温泉であるとされる。


銀山温泉は15世紀の頃、銀鉱山が発見されて間もない頃、ここで働く鉱夫が同様に温泉を見つけたのが始めと伝えられ、当時は鉱夫たちだけが利用していた温泉であった。
銀山の衰退後、当然ながら人々は去ってゆき人口は激減し、世間とは遮断された仙境であったが、それでも温泉は湧き続け、中には温泉を利用した湯治客相手の小宿や小商いを行って生活する者もいた。

江戸中期(享保年間)になると、鉱山が廃山になった頃から湯治場として栄え、幕末の温泉見立番付では「諸国温泉効能鑑」の東方四段目を付けられていた。

当時、『 うち身、かっけは最上の銀山湯 』と評判もたったという。


明治期のころまで数十軒の平屋建ての湯治場があったとされる。 
ところが、大正2年に銀山温泉は大洪水に見舞われ、殆どの温泉宿は流されてしまったという。
その後は洪水の影響と湯温の低下で一時、沈滞したが、大正10年に銀山川の水を利用した発電所が作られ、大石田出身の銀行頭取であった「田中 保」氏らの助言により、各旅館は一斉に洋風の3〜4層木造構造に建て替えを行った。 
そして関連して橋や沿道の整備も行い、ついに尾花沢より短時間で来れるようになったいう。


戦後は温泉街の外観は純和風に改装され、風情ある旅館街、伝統を生かした街造りを更に促進させるという。 
昭和43年(1968年)11月には、「国民保養温泉地」の指定を受けている。
昭和61年に地元、尾花沢では銀山温泉を「銀山温泉家並保存条例」を制定し、併せて、延沢銀山遺跡は昭和60年に国の史跡に指定された。
平成11年には新幹線の延伸にともなって観光客の数も増え続けているという。

毎年、冬を迎えるとテレビ各局が温泉の番組の特番を放映する。
登場する温泉は北関東・東北の温泉が圧倒的だが、中でもここ銀山温泉がよく紹介される。
雪を被った木造三層・四層の旅館が立ち並ぶ温泉街の風情豊かさにあるのは周知である。




 旅館中心街にある公衆浴場「かじか湯」、左は「旅館・永沢平八」



 温泉街とは離れた場所にもうひとつの公衆浴場「しろがね湯


 
 銀山温泉、温泉街;右端がかじか湯




銀山温泉の外湯は現在三軒あり、泉質はどこも似たようなお湯で、先ず、「しろがね湯」は温泉街の端、足湯の近くにあって銭湯という感じの共同浴場である。 
8:00-17:00 大人500円/小学生以下200円

かじか湯」(大湯)は温泉街の向こう中央部にあって、昔ながらの小さな共同湯で、雰囲気は一番ともいうが。
8:00〜20:00 大人300円/小学生以下100円

そして2009年6月5日に、貸切専用の公衆浴場『おもかげ湯』がオープンしている。 但し、料金は50分で2000円となっている。 
地元民専用の共同湯を一般向けに貸切風呂にしたので雰囲気はあるという、だが、値段が高いのが難点か・・?。
利用時間は10時〜17時50分まで(最終受付5時)で、浴室は約8畳の広さ、脱衣所に入り内鍵を閉めて利用する。


銀山温泉の泉質は概ね同一で、含硫黄・ナトリウム-塩化物硫酸塩泉(含食塩硫化水素泉)で、効能は慢性皮膚病、高血圧症、動脈硬化症、慢性関節リウマチ、神経痛、痔、婦人病などあるが、特に、アトピー性皮膚炎にはきく温泉だそうです。
源泉数:4 、湯量:500リットル/分 、泉温:60〜62℃、 飲用:可


銀山温泉観光協会」:http://www.ginzanonsen.jp/  
銀山温泉旅館案内」:http://www.ginzanonsen.jp/yado07.html 


次回、再び「羽州街道



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 東北紀行(86)天童 「将棋の駒」 



銀山温泉を後にして、この後、「蔵王」へ向かう。
山形蔵王は、先ず巨大なスキー場群と温泉がセットになっているのが人気で、東北地方ではその規模は最大級を誇る。 
スキーを楽しむ小生、家族等は、温泉街に会社直営の保養所もあって何回か訪ねたことがある。 

又、山形蔵王はスキーと温泉の他にも見るべき観光地も多く、春、夏シーズンはトレッキング、秋の紅葉が楽しめ、特に、蔵王エコーラインやその周辺の坊平、お釜、、刈田岳など見所は多い。
今回は蔵王の露天風呂とエコーラインのお釜を訪ねることにした。



羽州街道・国道13号線を南下する。
天童市内を走っていると、やたらと将棋駒を形どったオブジェが見れる。 ご存知、天童は将棋駒の生産地として著名である。 
将棋や囲碁に興味のある小生にとっては、些か、親近感を覚える地でもある。


天童市は駒の産地としての他にも、将棋に関する様々な催し事がある。
将棋フェスティバルや人間将棋、各種将棋大会もあり、特に、プロ将棋の公式棋戦、数々のタイトル戦も時折行われ、名人戦や竜王戦など幾多の名勝負が繰り広げられてきた。 
有名な羽生善治名人や渡辺 明竜王など多数来童しているという。


天童市は山形市の北に位置し、何と全国の将棋駒の約90%以上を生産するという。 
元はといえば江戸末期、天童藩の下級家臣の生活難の救済策に内職として始まったのが最初と言われている。 
当時、家老であった吉田家から伝わったとする資料も残っているらしい。


幕末当時は大方の藩がそうであったが天童藩も同様で、飢饉などによる税収減で困窮にあえいでおり、年貢の前借や藩士の減給、特産品である紅花の専売制を試みるも財政状況の改善には至らなかった。 
特に下級藩士の生活は苦しく、家老・吉田大八(守隆)はその救済策として将棋駒作りの指導者を米沢藩から招聘し、将棋駒の内職を奨励したとされる。

藩の内部には武士が内職を行うことに批判的な勢力もいたが、守隆は将棋が用兵の技量を育成するのに適した遊戯であり、その駒をつくることは武士の本分には外れないと擁護したと伝わる。 
この将棋駒の製造は明治時代以降も続けられ、後には全国生産量の殆どを占める天童の特産品へと繋がった。


当初の天童駒は付近の山から切り出した雑木を斧で割った木地に独自の草書体字が漆書きされたものであり、不揃いで庶民向けの低価格品が主であったという。
明治時代中期には東京から楷書体の駒が伝わり、大正時代には彫り駒の手法が取り入れられるようになり、また木地は機械で揃ったものが作られるようになって現在に至っている。
1996年、天童の将棋駒は伝統工芸品に指定された。

尚、将棋の駒で最も古いものは奈良県の興福寺から発掘されたものとされ、駒と同時に「天喜六年(1058年)」と記された冊子本が出土しており、駒の製作時期が11世紀頃であることがほぼ断定されている。

次回、山形




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