東北紀行 (50頁)
東北地方の主に内陸部の土地々の観光、温泉、歴史を巡ってます。
( 「日本周遊紀行」の続編)
平成年22年(2010年)10月秋季
福島県⇒宮城⇒岩手県秋田県⇒山形


祝い・・!!、東北・平泉地方の歴史敵文化が2011年6月、
「世界文化遺産」に登録されました。


東北紀行2010


     詳細目次(2)        
小生の旅と山旅  日本周遊紀行  世界遺産と鎌倉・湘南  日本周遊ブログ  日本周遊写真集T


【本文関連情報




 東北紀行(97)上の山 「上の山方」 



蔵王山の麓にあることから、克っては、この地方を「山方」と呼ばれており、大きく分けて南側を「上の山方」と呼び、北側を「下の山方」という呼ばれていたらしい・・!


再び蔵王エコーラインから、今度は直に「上の山」(かみのやま)へ下った。
上山バイパス(国道13号線)から市街地のほぼ中央、白い城壁の上山城がチラホラ見え隠れしている。

思えば、一昔前に山形の名所である出羽三山や最上川、立石寺などを周遊した時に、都会風の温泉地でも知られる上山温泉に宿泊している。 
あの時、城下近くの旅館に宿泊し、お城・天守閣を見物していた。 
白い城郭の中は鉄筋コンクリートの作りでエレベーターも設置され、上山の文化や歴史を知る資料館になっていた。


上山城は城主を代えながらも、戦国期には華々しく活躍した城であった。
戦国期には山形の最上氏と米沢の伊達氏(前の領地;伊達政宗はこの地で出生している)が、この地で何度も攻防戦を繰り広げている。 
又、関ヶ原の戦い当時においても上山城(米沢上杉氏)が山形城(最上氏)への最終防衛ラインの一つとなり最上勢が上杉勢を食い止めた場所ともなっている。

しかし、江戸期の城主・土岐氏の改易によって幕府の命により跡形もなく破壊され、それ以降、上山は城を持たない城下町になっていた。


上山は羽州街道と米沢街道の交差する交通の要所として知られ、宿場町としも大いに栄える。
又、温泉は15世紀頃には既に開湯せれていて良質な温泉としても世に知られ、会津の東山、庄内の湯野浜と並び、奥羽三楽郷の一つに数えられている。 
江戸期には上山藩直轄となり共同浴場などを開設、湯治客だけでなく羽州街道の旅人や住民まで解放し多いに賑ったという。 

上山は城下町、宿場街、温泉街の三つを兼ね備えた都市で、全国的にも珍しいとされる。


古来よりこの周辺地域は蔵王山の麓にあることから「山方」と呼ばれており、大きく分けて南側を「上の山方」と呼び、北側を「下の山方」という呼ばれていたらしい。 
下山方」は後に「山形」と呼ばれるようになり、「上山方」は「上山」と呼ばれるようになったという。

普通一般に上、下の呼び名の違いは、神や氏神社に近い方、都に近いほう、或は実際に高地にあるため“上の地”(うえのち)と呼ぶ場合がある。 

「上山」はカミノヤマと読んでいて、実際にどういう理由で「上」になったかは定かでないが、 因みに、越後・新潟を上、中、下越と称しているが、都に近い方を上越と呼んでいるらしい。

次回、「上杉氏



.
【本文関連情報




 東北紀行(98)米沢 「上杉氏」  ,



山形・南陽道から米沢の北を通って会津街道へ到る。

米沢も過ぎる年、山形観光の帰りしな、上杉家に関連ある神社や廟所、寺院を見学している。
やはり、米沢は上杉家の街であり、上杉家に関する地域造りや行事、祭りなどが盛んに行われている。 
上杉氏との縁で出身地でもある上越市との関係も深い。


元より米沢は戦国期は伊達氏の本拠地となっていて、独眼竜こと伊達政宗は米沢城で生まれていて、仙台へ移転するまで米沢を支配していた。 
しかし、豊臣秀吉の時代以降には上杉氏が奥州、米沢を領地にしている。

上杉氏(謙信;長尾景虎)は何といっても戦国時代、宿敵武田信玄との五度にわたる「川中島の合戦」は名高い。



上杉氏の元を辿れば、発祥地は丹波の国・上杉の庄(京都府綾部市)を領して上杉を名字とし、公家(朝廷に仕える貴族・文官)の家柄であったという。
室町初期、鎌倉公方・足利基氏の執事(関東管領)に任ぜられて、初代の関東管領になって以来、鎌倉に居住した。 
族として主に山内(やまのうち)と扇谷(おうぎがやつ・こちらも鎌倉の地名))二家が出ているが、関東管領の職はもっぱら山内・上杉家の当主が独占した。  
小田原北条氏が関東の覇権をするの及んで、上野(こうずけ・群馬)の国に所領を持つ山内・上杉憲政は関東を放棄して、越後守護代として勢力を張る長尾氏を頼り、関東管領の職を長尾景虎(上杉謙信)に譲ったのである。 
この時、扇谷上杉家は後北条氏に敗れ滅亡している。 

長尾氏は上杉と名乗り、景虎は越後の春日山城にて初代上杉藩主となる。 
だが、上杉謙信は越後を平定した後、関東への陣触れ直後、脳溢血で倒れ。
享年49歳であった。

謙信が亡くなると「御館の乱」で、謙信の二人の養子である景勝と景虎が後継者争いをし、景勝が勝利して上杉家第二代当主となっている。

豊臣政権になると上杉景勝は豊臣秀吉の重臣となり、秀吉の五大老まで登りつめた。

次回、「上杉鷹山




【本文関連情報




     詳細目次(2)         
小生の旅と山旅  日本周遊紀行  世界遺産と鎌倉・湘南  日本周遊ブログ  日本周遊写真集T
日本周遊紀行:詳細目次
詳細目次(東日本)  信越・東北西沿岸 北海道T、世界遺産:知床 北海道U 東北・東沿岸 関東沿岸
詳細目次(西日本)  鎌倉・湘南 東海 近畿 四国 山陽 九州(北、西) 九州(南) 九州(東)  沖縄  
               山陰・北近畿  
北陸  世界遺産:紀伊熊野 石見銀山
【旅のリンク集】
旅の紀行・記録集
山の紀行・記録集 山のエッセイ
「旅行リスト」
日本周遊紀行「東日本編」
日本周遊紀行「西日本編」
日本周遊紀行 (別URLです)

【日本の世界遺産紀行】 
北海道・知床  
白神山地 
紀伊山地の霊場と参詣道 
安芸の宮島・厳島神社  
石見銀山遺跡とその文化的景観 

ハワイ旅行2007
九州旅行2008
東北紀行2010
沖縄旅行2008
北海道道北旅行
北海道旅行2005
南紀旅行2002

古都鎌倉紀行
「山行リスト」 

立山、剣(天の記)(1971年)
白馬連峰登頂記(2004・8月)
北ア・槍−穂高(1968年)
上高地・明神(2008年)
南ア・北岳(1969年)
八ヶ岳(1966年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
谷川岳(1967年)
尾瀬紀行(1973年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
奥秩父・金峰山(1972年)
「上高地雑感」
「上越国境・谷川岳」
「丹沢山塊」
「大菩薩峠」
 


スキーの記録  
「スキー履歴」




inserted by FC2 system